俎上の魚は江海に移れるか?

俎上の魚 ソジョウノウオ



《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉(こい)。


俎上の魚江海に移る ソジョウノウオコウカイニウツル

危険な状態を脱して安全なところに移ることのたとえ。 
                                
出典:デジタル大辞泉 


 2016年もはや2月4日。この日に、僕の控えている全ての入試日程が終了した。もとより私立しか狙っていない僕は、これから先の試験は落ちた場合に受ける私立後期試験のみとなった。即ち、前述のとおり全て終わったわけだ。あとは果報を寝て待つのみ。
 試験の手応えを参考までに書いておくと、 まずA日程二日は微妙な手応えだったのだが、最後の試験、2月4日に実施されたB日程ではなかなかの手応えを感じた。受かっているだろうとは思うのだが、いかんせん僕にはA判定で落ちたという前科がある故、たとえ落ちる確率が手が机をすり抜けるような確率と同値であろうとも、あまり大きな声で受かったとは言えないわけである。
「ヤッターウカッタ-」
 それはそうと、今思い返せば思い返すほど長い一年だった。特に夏前後から今までの記憶が薄い。それもそのはず、一日の半分は机に向かっているか、休憩時間にTwitterをしていたのだから当然だ。むしろそれで記憶を鮮明に残せと言う方が難しい。今思い返せば長かったと感じるが、実際にはあっという間に駆け抜けた一年だった。いろんなことがあった気もするし、それほど特筆すべきことも無かった気もする。それはたしかにそこにあったはずなのに、それは本当に実像だったのだろうかと疑いたくなる。同じ学校の学友達と過ごした日々の記憶は、思い返せばたしかにそこにある。しかしそれはふわふわと漂うコロイド粒子のように、定着する場所を失って彷徨い続けている。 実感のない記憶というのはこんなにも歪なものなのか。開頭して脳に電極を差し込み、そこにある記憶を上書きしたような違和感が、たしかにそこにあるのだ。確かに僕が体験したはずの出来事なのに、それは僕ではない"誰か"がシナリオ通りに演じてるように感じるのだ。

 龍上の魚はどこへ行くのか。
なんでや龍驤関係ないやろ!
 3枚におろされるのか、それとも運良く俎上から逃れることができるのか。

 事の顛末は、神のみぞ知る。



どうでもいいけどこの場合俎上の魚って使ってから俎上から逃れるって言うとなんか落ちるイメージあるよね 

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